子どもが大きくなると、カメラを向けても嫌がられるようになる——そう聞くことがあります。実際、思春期に入れば写真を撮られたがらない子は少なくありません。
ただ、私の場合は10年間、一度も嫌がられたことがありません。息子にも、チームの子たちにもです。
運が良かっただけかもしれません。それでも、振り返るといくつか思い当たる理由があります。
この記事では、撮られる側との関係をどう保ってきたかをお伝えします。
- 息子が写真を嫌がらなかった、意外な理由
- 学年が上がると変わること、変わらないこと
- 「今は撮るべきじゃない」と判断してやめる場面
息子は、むしろ感謝してくれていた

小学校時代の公式戦、試合の合間の休憩時間です。カメラを向けると、子どもたちが我先にと集まってきてポーズをとってくれました。撮られることを嫌がる様子は、まったくありませんでした。
まず、息子の反応から。嫌がられた時期は、まったくありませんでした。
それどころか、感謝されることのほうが多かったと思います。

梶原(管理人)
編集が当日中に終わると、「もう終わったの? はやっ!」と言われていました。保護者グループのあとに息子個人のLINEにもアルバムを共有していたのですが、いつも食い入るように見ていました。
ここで大事だったのは、息子に送っていたのが「全員分のアルバム」だったことかもしれません。
チーム全体に送るものなので、息子の写真は他の子と同じ量しか入っていません。それに文句を言うこともなく、みんなの写真を一緒に見ていました。
自分だけが特別扱いされていない。だからこそ、「撮られている」ではなく「チームの記録を見ている」という感覚になっていたのだと思います。
役に立つ写真を送ることもあった
もうひとつ、意識していたことがあります。ときどきバッティングフォームの連写写真を、個別に送っていました。
これは思い出としてではなく、フォームを確認してもらうためです。自分の動きを見返せる資料として使ってもらう。
写真が実用的な役割を持つと、受け取る側の見方も変わります。撮られる意味が本人に伝わっていれば、嫌がる理由が減るのだと思います。
学年で変わるのは「頻度」であって「態度」ではない
では、学年が上がると反応はどう変わったか。
意外に思われるかもしれませんが、態度そのものは大きく変わりませんでした。どの年代でも、カメラを向ければポーズをしてくれたり、笑顔になったりします。
変わったのは、そういう時間と頻度がどんどん少なくなっていったことです。
これは子どもの気持ちが変わったからではなく、環境が変わったからだと考えています。
| 小学校時代 | 中学校時代 | |
|---|---|---|
| 保護者の関わり | アップの補助、片付け、グラウンド整備 | 応援のみ |
| 食事の時間 | 一緒にとることが多い | 子どもと保護者は別 |
| 絡む機会 | 多い | かなり減る |
小学校時代は、保護者が試合に関わる場面がたくさんありました。アップに付き合い、片付けをして、一緒にグラウンドを整備する。純粋に子どもたちと過ごす時間が長かったのです。
中学になると、そういう機会がほとんどなくなります。休憩中に絡むこと自体が減れば、カメラを向ける場面も自然に減ります。
つまり「撮られたくなくなった」のではなく「撮る機会がなくなった」ということです。ここを混同すると、子どもの気持ちを誤解してしまうかもしれません。
チームの子たちも、気にしていなかった
自分の子以外はどうだったか。撮られたくなさそうな子は、いませんでした。
理由はシンプルだと思います。私が撮っているのは、ほとんどが試合中のプレーだからです。
試合中、子どもたちは全員が野球に集中しています。打席に立っている子も、守備についている子も、カメラを気にしている余裕はありません。
撮られていることに、そもそも気づいていないくらいだと思います。
撮られることを意識させないのは、プレー中の写真の利点です。自然な表情が撮れるのも、同じ理由からです。
「今は撮るべきじゃない」と判断する場面

息子が小学校時代、リーグ戦終了後のミーティングの場面です。最終回に逆転勝ちしましたが浮かれることなく監督の話を真剣な表情で聞いています。
ここからが、この記事でいちばんお伝えしたいことです。
試合中のプレー以外に、ベンチの様子や試合後のミーティングを撮ることもあります。毎回ではありませんが、カメラを準備しているときには撮っています。
ただし、そこには判断が要ります。
とくに監督から叱られている場面です。ここで周りをちょこちょこ動きながら撮影していると、場の空気を乱してしまう恐れがあります。
子どもたちにとって、大事な話を聞いている時間です。そこに撮影者の気配が入れば、集中が途切れます。指導している側にとっても同じでしょう。
撮るなら、気づかれないように
そういう場面で撮る場合は、こうしています。
- 少し離れた位置から撮る。近づかない
- 後ろ側に回る。子どもたちの視界に入らない
- 動き回らない。一か所から静かに撮る
そして何より大事なのが、これです。
「今は撮るべきじゃないな」と感じたら、その時はすぐに止める。
撮影係として任されている以上、記録を残すのが仕事です。ただ、記録より優先されるものがある場面は確実に存在します。
叱られている最中の写真は、あとで見返して喜ばれるものではないかもしれません。それより、その時間をきちんと成立させることのほうが大事だと思っています。
⚠️ 重要ポイント:撮った写真を、どこまで共有するかも考える
仮に撮れたとしても、共有するかどうかは別の判断です。悔し涙や、うつむいている姿。記録としての価値はあっても、本人やご家族がどう感じるかは分かりません。私は迷ったときは共有を控えます。撮ることと、届けることは別の行為だと考えています。
嫌がられなかった理由を、あらためて考える
10年間、一度も嫌がられなかった理由を整理すると、こうなります。
- 撮っているのが、ほとんどプレー中だから。本人が意識する場面が少ない
- 全員分を平等に撮っているから。特定の子を追いかけていない
- 写真が役に立っているから。フォーム確認など、実用的な使い道がある
- 撮らない判断をしているから。踏み込むべきでない場面には入らない
どれも特別なことではありません。ただ、撮る側が線を引いているかどうかは、子どもにも大人にも伝わるものだと思います。
撮れるからといって、すべてを撮る必要はない。その加減が、長く撮り続けられるかどうかを分けているのかもしれません。
まとめ:撮らない判断も、撮影のうち
写真を嫌がられるかどうかは、子どもの年齢だけで決まるものではないと思います。撮る側がどう振る舞っているかのほうが、大きいのではないでしょうか。
プレー中を中心に撮る。全員を平等に扱う。役に立つ形で届ける。そして、踏み込むべきでない場面では、カメラを下ろす。
- ✅ 全員分を平等に送ると、自分だけ撮られている感覚にならない
- ✅ 学年が上がって減るのは「機会」であって「気持ち」ではない
- ✅ 叱られている場面など、撮るべきでないときは止める
撮影係の仕事は、シャッターを押すことだけではありません。押さない判断をすることも、同じくらい仕事のうちだと思っています。
本記事は2026年現在の管理人の実体験に基づく内容です。子どもたちの反応やチームの雰囲気は、環境によって大きく異なります。写真の撮影・共有にあたっては、所属チームのルールと保護者の意向をご確認ください。
