子どもの試合を撮っていても、応援はできます。シャッターを押しながら声は出せますし、撮る人がいるから、ほかの保護者は撮ることを気にせず応援に集中できます。
少年野球の撮影係を10年続けてきて、「写真ばかり撮っていて、自分の子のプレーをちゃんと見られていないのでは」と言われることがあります。
それでも私は、撮る側にいることを損だと思ったことはほとんどありません。最後の試合のように二度と来ない場面も、迷ったら撮るほうをおすすめします。
ただ、そんな私でも、息子の中学最後の打席ではカメラを下ろそうか本気で迷いました。
この記事では、撮りながら応援する実感と、撮るか見るかの判断の目安を先にまとめ、後半でそのときのことと、保護者の方からかけられた忘れられない言葉をお伝えします。
- 撮りながらでも応援はできるという実感
- 最後の試合や節目の日に、撮るか見るかの判断の目安
- 中学最後の打席で迷った話と、保護者の方からかけられた言葉
撮りながらでも、応援はできる
「撮っていると応援できない」と感じている方に、実感としてお伝えしたいことがあります。撮影しながらでも、応援はできます。
他の保護者と一緒に声を出したい、一緒に叫びたいと思う場面は、もちろんあります。ただ実際のところ、ずっと無言で撮り続けていたわけではありません。
ファインダーを覗いていても、ヒットになったことは分かります。長打でベースを駆け抜けるときは、シャッターを押しながら「行けーー!」と叫んでいました。
両手はふさがっていますが、声は出せます。撮ることと応援することは、思っているほど両立しないものではないのだと思います。
それに、一緒に盛り上がる時間は休憩中や試合後にもあります。「さっきのすごかったね」と話すのは、その場でなくてもできることです。
撮るか見るか、場面ごとの判断の目安
撮りながら応援できるとはいえ、毎回すべてを撮るべきだとは思いません。
最後の試合や節目の日は撮るほうをおすすめしますが、私自身、中学の練習試合はカメラを置いて観戦していました。
全部を撮る必要はありません。判断の目安として、こう考えると整理しやすいと思います。
| 場面 | おすすめの選択 |
|---|---|
| 公式戦、最後の試合、節目の日 | 撮る。二度と来ない |
| 練習試合、日常的な試合 | どちらでも。休む日を作る |
| 体力的・精神的にきついとき | 見る。続けることが優先 |
大事なのは、自分で決めているという感覚だと思います。撮らされているのではなく、自分が撮ると決めている。そうであれば、迷いも後悔も少なくなります。
小学校時代は、ほぼファインダー越しだった

息子が小6の夏に行われた公式戦準決勝での場面です。ファーストを守っていた息子が、目いっぱい体を伸ばしてアウトにした瞬間です。
毎日ストレッチを続けていた成果が、こういうプレーに出ていたのだと思います。
ここからは、私自身の体験です。正直にお伝えすると、小学校時代の6年間は、息子のプレーを肉眼で見た記憶がほとんどありません。
公式戦はもちろん、練習試合まで含めてほぼ全試合を撮影していたからです。グラウンドに行けば、カメラを構えている。それが当たり前になっていました。
中学校に入ってからは、少し変えました。さすがに全試合というのは自分自身もきついので、控えようと思ったのです。
そこで、練習試合はずっと肉眼で観戦して応援することにしました。カメラを持たずに行く日を作ったわけです。
ただし、公式戦は3年間すべて撮影しました。そこだけは譲れませんでした。だから公式戦に限れば、やはりファインダー越しの応援だったことになります。
中学最後の打席、肉眼で見るか本気で迷った

息子の最後の公式戦となった市大会1回戦です。9回裏に代打で出場し、これが中学最後の打席となりました。
いちばん迷ったのは、息子の中学最後の試合でした。3年生として迎える最後の打席。代打での出場です。
ここでカメラを下ろして、自分の目で見届けようかと本気で考えました。迷った末に、シャッターを切ることを選びました。

梶原(管理人)
肉眼で応援しようか迷いました。でも、むしろその姿こそ写真として記録に、記憶として残しておかないとと思い直して、シャッターを切り続けたんです。
そうしたら、スリーベースの長打。本当に涙が出そうになりました。
結果的に、この判断でよかったと思っています。もし肉眼で見ていたら、あの打席は私の記憶の中にしか残りませんでした。
撮ったからこそ、いつでも見返せますし、息子にも見せられます。
写真は、撮っただけでは見返されません。私は撮った写真をその日のうちにチームのLINEアルバムで共有しています。
なので、選手本人や家族が、あとから何度でも開けるようになっています。撮る価値は、見返されて初めて生まれると思っています。
そして、いま思うことがあります。あの打席のことを、私は写真がなければ細部まで思い出せなかったかもしれません。
気持ちが高ぶっている場面ほど、細かいところは記憶から抜け落ちていくように感じます。
打つ直前の表情、構えたときの足の位置、走り出す瞬間の姿勢。そういう細かいところは、写真を見て初めて「そうだった」と思い出せるのです。
私の後悔は「見なかったこと」ではない
「あのとき肉眼で見ておけばよかった」という後悔は、正直あまりありません。それよりもはるかに重いのが、残せなかったときの後悔です。
これは自分の息子に限りません。他の子の決定的な場面を撮り逃したとき、大事なプレーがブレていたとき。そちらのほうが、ずっと悔いが残ります。
理由ははっきりしています。撮影係として任せてもらっている以上、その試合の一瞬一瞬を切り取って残してあげることが、自分に任された重要な仕事だと思っているからです。
だから何があっても写真に残そうという気持ちで撮ってきました。この優先順位が自分の中で決まっているので、迷いが少ないのだと思います。
「あなたがいるから、応援に集中できる」
そして、この記事でいちばんお伝えしたい言葉があります。何人もの保護者の方から、こう言っていただきました。
「あなたがいつも写真に残してくれるから、私たちは応援に集中できてるんだよ。本当にありがとう」
この言葉をもらったとき、自分の活動が報われたと思いました。
それまで私は、どこかで「自分だけが応援できていない」と感じていた部分があったのかもしれません。ところが、そうではなかったのです。
誰かが撮っているからこそ、他の人は撮ることを気にせず声を出せる。役割が分かれているだけで、どちらもチームを支えていることに変わりはありませんでした。
撮る側は応援に参加できていないと思っていたのは、実は自分だけだったのかもしれません。
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まとめ:撮っていても応援はできる。最後の試合は迷ったら撮る
撮る親は、確かに肉眼で試合を見ていません。隣の人と抱き合って喜ぶこともできません。それでも、撮ることで残るものがあります。
中学最後の打席のスリーベースは、撮ったからこそいまも手元にあります。そして、誰かが撮っているからこそ、他の人は安心して応援に集中できるのです。
- ✅ 迷ったら撮る。二度と来ない日は、撮ったほうが残る
- ✅ 撮りながらでも声は出せる。盛り上がるのは試合後でもいい
- ✅ 全部を撮る必要はない。休む日を作っていい
もしいま、撮るか見るかで迷っている方がいたら。どちらを選んでも、応援していることに変わりはありません。
ただ、二度と来ない日だけは、迷ったら撮っておくことをおすすめします。私は最後の打席で撮ることを選びました。いまでも、あの判断でよかったと思っています。
本記事は2026年現在の管理人の実体験に基づく内容です。
※掲載写真は、個人が特定できないよう加工しています。

